2018年6月16日土曜日

いわゆるジロンド派追放から約2か月間、恐怖政治は無い

改選された公安委員会は、「政策を失った委員間」とか、「睡眠薬強盗委員会」とかのあだ名でからかわれていた。マラーとヴァディエがつけたもので、ともにモンタニヤールの議員であった。つまりは、まだモンタニヤールの議員は、野党的な目で公安委員会を批判していたのである。「しっかりやれ」、「何もしていないではないか」という意味である。実際、社会政策としては追加したものはない。
ジロンド派に対する追及すらない。事実、しぶしぶ除名に賛成させられたから当然のことになる。それでもしたことは一つある。累進強制公債の実施であった。これを出先の機関に任せる。つまり派遣委員と地方公共団体にである。ここでは、必要に応じて、金持ちから税金を借りるという名目で取り立てた。拒否したものだけが処罰されたが、「命ばかりは」と差し出したものについては、命まではとろうとはしない。金持ちにとっても、戦争に負けて、亡命貴族が返ってくることを思えば、安い費用とも思える。
こうした状況の中で、マラーの暗殺と敗戦の脅威が事態を変えた。7月13日、つまり新公安委員会ができた3日後のことであった。これを厳密に評価すると、恐怖政治を「マラー、ダントン、ロベスピエール」のしたことと定義した、昔からの理論が、実はでたらめであることがわかるだろう。マラーはその前に死んでいる。しかも、この時、穀物の最高価格制、強制徴発の要求に反対して、過激派指導者と対立していた。過激派指導者ジャック・ルーは脅迫的な言葉を残して去った。その直後のことであるから、はじめは過激派の復讐だと思われた。その意味では「マラーが穏健派」と仰天するような解釈も成り立つ。
暗殺者は、シャルロット・ド・コルデーという貴族の女性であり、ジロンド派につながりがあるといわれたが、私は怪しいと思っている。(これは私見であります)。
いずれにしても、議員に対して、暗殺の脅威が高まっていることは確かになった。パリの治安を維持しなければならない。しかし、軍隊は大戦争の為に出払っている。警察力だけでは人手が足りない。ここでジャコバンクラブの組織力が期待されるようになった。ここで最大の影響力を持つ人物、それがロベスピエールであり、彼に「入ってくれ」という誘いがかかった。彼は「自分の気質に反して」といいながら引き受けた。役割は、「ジャコバンクラブを公安委員会支持に結びつけること」であった。これで議員の安全は確保されたが、のちにもろ刃の剣になる。
戦争では、ベルギー方面のオ-ストリア軍が最大の脅威であった。今一つ戦果が上がらない。公安委員のバレールが、ラザール・カルノーに公安委員会入りを勧めた。軍事の全権を任せるという。カルノーはプリユール・ド・ラ・コート・ドールを推薦して断った。そうするとバレールは「そうか、それなら二人とも」といって、これを国民公会に推薦し、議論もなしに可決した。これを見ると、人事の実験は平原派のバレールにあったことがわかる。カルノーは軍事の天才ぶりを発揮し、「勝利の組織者」と呼ばれ、子孫から大統領を出す家系になった。
こうゆうわけで、ジロンド派ついい方が、即、恐怖政治になるということはないのである。