2024年1月14日日曜日

世界史における近代市民革命

フランス革命は失敗して、7月革命で成果を確定した。

世界史における近代市民革命を論じる時、フランス革命をその典型として扱い、その他の国の事件は、フランス革命と比較してどう違うのかと議論することが、従来の常識であった。この常識は、何処の国の、誰が作ったのかはわからないが、圧倒的な強さを持っていて、それに逆らうことは不可能と思えた。

だから、私も若いころから、フランス革命の勉強を始め、ついにフランス革命の専門家化になってしまった。私の本心は「フランス革命が典型的な市民か革命であるから研究しているのではなくて、典型的な市民革命だと言われているので、これの再検討をしている」というものであった。

私の本心は、「あの人は典型的だが、この人は典型的ではないと言えるか」であって、「とにかく、人間としての共通点を持っていたのなら、人間という定義でまとめられる。片足を失っても人間だ」というものである。

例えば、誰もが言う言葉、「フランス革命は自由、平等を実現したが、日本の明治維新はそれを実現していない」、この一言で、明治維新は古いものという定義にされてしまう。

もし、フランスの市民革命が1830年の7月革命であるとすれば、議論の方法は変わってくる。7月革命で、自由平等は実現したか。議会の選挙方法は、制限選挙制で、国民の約半数は選挙権を持たない。これでは、平等とは言えない。普通選挙制の実現は、もう少し待たなければならない。

つまり、自由、平等、人権、共和制、立憲君主制、法の下の平等などというものは、市民革命の後になってから実現されるものであり、市民革命が直接実現するものではないということだ。

 それでは、7月革命は何もしなかったのか。それはありえない。何もないのに、軍隊相手の市街戦を戦い抜き、ついに国王シャルル10世を退位させ、死傷者も多数出た。国王を亡命に追い込み、首相ポリニヤック大公を逮捕、投獄した。これは革命であった。では、この革命政権は何をしたのか。これについて、正確な解釈をする歴史家がいない。だから、世界的な規模で、市民革命の誤解が広がっている。

ここでは、まず問題点の定義にとどめておき、次回その内容に入ることにする。