2020年3月21日土曜日

コロナ社会は御膳文化で乗り切ろう。

コロナウイルスのいるところでは、人と人との距離が近いとよくない。家庭の団欒、鍋を囲んで、この楽しい時間が危ないという。とすれば、もう一度、日本古来の食事方法に立ち返ってはどうか。
「箸を交えて、親と称す。禽獣にも劣る」。これは尊王攘夷の志士有馬新七が書き残した文章である。仲が良いから箸を交える。これはとり、けだものに劣る人間だという意味であって、西洋人はこうだから、追い払わなければならないといった。
そうすると、今の日本人は、多くの人が動物以下だということになる。ちょうど今、コロナが警告してくれたから、原点に立ち返って、昭和初期以前の食事方法を振り返ってみよう。
食事は御膳で、その前で正座して食べた。人との距離は1メートル以上開いていた。主人(家長)は一人で、または一段高いところで妻子から離れて食べていた。奥様に至っては、一緒に食べない人もいた。全員の食事が終わってから、一人で、台所(キッチン)で食べる。その時ドア、扉を閉めて食べる姿を見せない人もいた。
子供たちが声を出すと、叱られた。口に含んだ食べ物を見せるのは下品だと叱られた。つまりは、黙って食べろというしつけであった。今のよう、に子供が大声を上げて食べるというのは、論外であった。
一人で食べる。声を出さない、この方法は、日本文化の伝統であった。ここに立ちかえればよい。ただ一つ、畳、正座に立ち返ることはできない。とすれば、脚のない、重箱方式の御膳を机、テーブルの上に置くしかない。これで距離をあける。これが基準で、あとは応用、工夫次第になるだろう。家庭版コロナ撃退方法である。

コロナ社会では手洗いとハンカチが重要、小林良彰

新型コロナの流行が続くかぎり、トイレの前の手洗いが重要だといいました。特に男は全員しなければなりませんが、そのほぼ全員がしていない。だから、家庭内の感染、流行の原因の多くは、お父さん、次に男の子になります。なぜかこういうことは、政府の発表にはありません。
さて、心を改めて、トイレに入る前に手洗いをするとして、濡れた手をどうするの、紙タオルが常備されていることになれているから、それを当てにするのですか。これではまた危険が伴う。公衆の場に常備されている紙タオルそのものに、新型コロナがついているかもしれない。
自分のハンカチで拭くしかないでしょう。ところが、この頃、ハンカチを持っている人が少ない。紙タオル常備の時代になれているからです。しかし、コロナの時代になると、また元の習慣に戻る必要が出てきました。自分のポケットに入っているハンカチならば、コロナウイルスはついていない。たとえ、その他のことで汚くても、新型コロナウイルスはいない。だから安心してこれで拭く。
男全員はハンカチを常備し、小用の前に手を洗い、自分のハンカチで手を拭くべし。そうすれば、手と槍の間をコロナウイルスが往復することがなくなり、家庭は安全になる。これをおろそかにする男を、女性は「ウイルスの運び屋」だと思えばよい。判別基準として、「ハンカチを持っているか」と聞くことにすればよい。
ついでながら、昔の男はハンカチではなく、腰に手ぬぐいをぶら下げていました。1950年代の学生などはそうでした。

2020年3月18日水曜日

小林良彰の緊急提言、新型コロナの消毒で足りないところ。

今から言いにくいことを言います。まだ世界中でだれも口にしていません。気が付かないのか、それとも、言い出しにくいのか。いうと、袋叩きにされないかな。
それでもいうのが私で、市民革命の理論もそういう流れの中で発表してきました。その意味では共通点がある。だからこのサイトを借りました。
手洗い、手の消毒、マスクとともに、これが基本です。それはもう万人が知っていて、実行しています。しかし、それで本当にその目的を達成しているのかな。なぜ手の消毒をするのか。それは、手からコロナウイルスが体の中に入り込むからではありません。粘膜から入り込みます。もう一つ、傷口(目に見えないほどの小さなものでも)からです。これ重要です。普通、この説明をするとき、目、鼻、口の粘膜を取り上げます。
さてお父さんが仕事場で、家庭で、手の消毒をする。しかし、通勤途上、手すりその他で少しウイルスが付いた。家に帰って、手の消毒をすればウイルスは退治することができたはず。しかし、途中で公衆トイレに入って、小用をしてきた。当然、槍を支えます。そのまま出てくる。この前後、多くの人が手を洗わない。特に前に洗う人はいない。後ろは最近増えたかもしれない。
まあそれはどちらでもよい。前が問題なのです。お父さんの手に少し着いたコロナウイルスが、槍の穂先で新居を構えて、じっとしている。お父さんは家に入って、念入りに手を消毒する。これで万全と思っていると、再度小用に行くから、手にも一部戻ってくることになる。こうして、お父さんは、家の中で、手と槍の両方にウイルスを持ったまま生活するのです。最後に粘膜との接触、微小な傷口、何を言っているかわかるでしょう。
これでどうなるか。いわなくてもわかるでしょう。お父さんだけでもないですよ。すべての人がこういうことで、病原体になるのです。
とても止めることはできないが、半分くらいに減らすことができるのは、トイレの入り口に消毒液を置いて、小用の前に手を清潔にするという風習を作ることでしょう。消毒液がなければ、せめて手洗いをしてからということにしてはどうですか。女性のことは言えないので、自分らで考えてください。「前に手洗いを」というのは、人類はじまって以来のことでしょう。