2017年11月20日月曜日

昔からの間違い・ジャコバン派独裁の理論

フランス革命のいわゆる「ジャコバン派独裁」の理論は多くの誤解の積み重ねのうえに成り立ったものである。ジャコバン派はなくて、ジャコバンクラブがあっただけのこと、ジロンド派が追放されると、ジャコバン派独裁が成立したのではなくて、平原派と山岳派の連立政権ができたので、厳密にいえば、ジロンド派政権の時代も、ジロンド派と平原派の連立政権であった。
山岳派は,はじめ全体としてジャコバンクラブに支持されていたが、ジャコバンクラブでは粛清投票というものが進められ、腐敗、汚職が疑われたものが相次いで除名された。中には、釈明にやってきて、「ギロチンへ」という叫び声に包まれて退場した議員もいた。こうして、ジャコバンクラブそのものも、一年間で変質した。中小ブルジョアジーの集団から、小ブルジョアジーの集団への変化を起こし、その指導者に、「腐敗しない人」のあだ名を持つロベスピエールを押し出したのであった。この段階になって、ジャコバンクラブは山岳派主流に敵対する勢力になった。そうすると、ロベスピエールが公安委員会に来なくなった時には、ジャコバンクラブは野党のような状態になっている。主張している政策はヴァントウーズ法であるが、それは事実上阻止されている。つまり土地革命につながるものは妨害されている。そしてこのままで敗北した。だから、ロベスピエールが「共和国は滅び、盗賊が勝った」と言い残したのである。
このように整理すると、「ジャコバン派独裁が土地革命を行った」とする古くからの理論は間違いになる。この理論は世界中の学者、学生の頭を縛り、その延長として各国の学者が自分の国にこうしたものがあるのかないのかを検証するための努力をしてきた。日本では「土地制度史学会」という一大学会が隆盛を極めたが、これも背景にはそれがある。私も、大学に入るなり、先輩から「日本資本主義社会の機構」平野義太郎著を与えられ、これが聖書のようなものだといわれた。そこにはこの理論が書いてあった。私がフランス革命を研究するに至った原点である。研究した結果、それは無いということになるのだが、そうすると、フランス革命と明治維新の同一性が浮かんだ来るので、この研究は無駄ではなかったと思っている。

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