2018年11月20日火曜日

明治初期の政争で、大久保利通の支持者に経済界があった。

大河ドラマ見ていても、西郷隆盛の側には武士団の強力な支持がみられるが、大久保利通の側には何も見られない。彼一人で奮闘しているような印象を与えられる。それでいながら、大久保の方針が最終的に実現する。
大久保は岩倉具視と組んでいる。しかし岩倉個人に力があるわけではない。公家社会の中でも序列は低い。征韓論の対立を見ていても、大久保と岩倉だけが反対で、あとは賛成論者、西郷その人でも、生ぬるいといわれている。
それでいながら、なぜなら内治優先論が通り、征韓派が下野することになったのか。理由は簡単なので、「経済界の支持」があったからである。フランス語でいう「オム・ダフェール」、(実業家)が支持したのである。「江戸」に詰めていた大名は去り、旗本は静岡に追放された。残る有力者は、ビジネスの成功者しかいない。この大群が大久保を支持したのである。
それでは、代表的な人物の名前をいえとなるだろう。最大の名前は、「岩崎弥太郎」である。これなら、だれもが聞いたことがある。「あれは参議か、三菱の岩崎か」、すでにこういう言葉も残っている。
立派な馬車で疾走したからである。三菱商会の岩崎弥太郎、すでに政府高官の支持者になるほど成長していた。幕末、彼は最下級、極貧の武士、鳥かごを背負って売り歩く、武士兼行商人、テレビドラマで、これが放映された時、それを演じる俳優が「さもありなん」と思われるほど、真に迫った演技をしたので、三菱の社員たちが嫌な思いをした。
長崎に出て、土佐商会の会計を任された。上役に上級武士の後藤象二郎がいる。土佐藩から脱藩した坂本龍馬が海援隊を組織して、貿易業を始めている。これとも手を組むようになる。坂本が暗殺され、討幕の混乱が続いた時、海援隊の資金が岩崎に入ったとのうわさが広まったが、真偽不明。
廃藩置県で、土佐藩の資産を借財とともに譲り受け、借金を返して、莫大な資産を形成した。三菱商会を作り、近代的な海運業に進出した。海で成功したから、あだ名は「海坊主」。
大久保利通が内務卿になり、産業と治安を一手に握るようになると、三菱の大躍進が始まる。政府が輸入した艦船、これ相次いで三菱に安く払い下げられる。その見返りに、相次ぐ戦争で、軍事輸送に全面協力する。西南戦争でも、この軍事輸送の効果で、政府軍が勝ったともいえる。
つまり、大久保の背後に、新興企業家の岩崎弥太郎がいた。彼一人ではない。五代友厚(五代才助)、渋沢栄一(第一国立銀行)、益田孝(三井物産)などなど、説明しているときりがないほど、こういう実業の大群、これが物言わぬ支持者であった。
つまり、明治政府は財界、実業家の政権であったが、初期は大商人、数年でそこ新興企業家が割り込んできたのであった。
こういうと、昔は、「それはしょせん政商ではないか」、「フランスはそんなことはない」という反論にだあった。これに「はいそうです」というと、日本のほうが遅れているかのように思われる。
これがフランスの事を知らないもののいうことで、「ウヴラールのことを知っているか」と反論すればよいのである。わずか数年で大企業家になり、最大の武器商人、「正確にいうと、、軍需調達の商人に金融をする企業家」に成長し、総裁バラス、(バラスの王)といわれた、この最高権力者に結びついた。
大久保がバラスと似ているが、岩崎がウヴラールと似ている。こういう意味でも、フランス革命と明治維新が似ている。

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