2018年11月13日火曜日

西郷隆盛は女権の廃止に熱心であった。

これは意外なことで、だれも書かないことである。しかし、西郷隆盛の文書の中に残っている。三百年続いた女権を廃止しした。これは愉快なこと、というのである。
改めて、江戸時代に女権がどこにあったかを振り返ろう。
一つは、江戸城の大奥である。美女3000人などといわれる。旗本の娘が多いが、こればかりは美醜に関する問題であるから、完全に家柄に連動するものではない。どこかに素晴らしい娘がいると聞くと、それを養女にして、上級旗本が大奥に送り込む。これが上様のご寵愛を受ける、お世継ぎを生むとなると、一大権勢をふるうことができる。こうして、土地支配者の上層が、女性を使って、支配権を行使するのである。
江戸時代の話はこればかりになるが、もう一つ、京都では、御所の中で、同じことが行われていた。これは当然のことで、平安朝の時代からそうであった。天皇の周りを女官が囲んでいた。これが天皇個人の意見におおきな影響を与えていたという。
廃藩置県の時に、この女権を廃止した。愉快だといっている。これ以後天皇のそばに男の侍従を置いた。有名な人物は、山岡鉄舟である。もと幕府の旗本、剣の達人、江戸開城の使者になった人物。天皇が座敷で相撲を取る趣味があり、それをやめるように進言したところ、天皇が山岡の首筋をつかんだ。とたんに、山岡が投げとばしたという。そのうえでさらにいさめたという。
こういうところにも、西郷隆盛の目指す改革があった。

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