2017年8月23日水曜日

絶対主義均衡説という間違い 続

絶対主義均衡説が主張されたのは、約150年前ドイツ人エンゲルスがイギリスで書いた文章を人々が引用したことに始まる。絶対主義という言葉はもっと古く、フランスでは1600年代、イギリスでは1500年代に使われ、これは誰いうとなく広がった言葉であった。それ以前の、分権的ヨーロッパ諸国、分裂割拠の時代から、王権のもとで統一国家が形成された、国王の権力がかつてない水準に高まったことに、感覚的評価で「絶対主義」といったのである。
この絶対主義を、貴族は没落しかかり、ブルジョアジーは上昇しつつあり、両者の力が均衡に達したとき国王が官僚組織をもって、両者の上に立ち、絶対的な権力をふるうという学説であった。この学説は、当時盛んになった科学的歴史観のなかで、一大勢力を占めた。そこで、これに間違いはないと欧米諸国の有名教授たちが大学で講義したものであった。それから約100年の間に日本にも輸入され、全盛期を極めた。この理論は特に日本に強い影響を与えた。それは天皇制絶対主義説と言われるもので、「戦前の天皇制は絶対主義だ」という学説の根拠になった。これを言い出したのは旧ソ連で、それを受けて、これを信奉する学派と反対する学派に分かれて論争が続いた。いわゆる日本資本主義論争であった。私が大学に入ったときにはこれが花ざかりで、理科の授業に出席しているのに、右も左もこれをやっていて、どちらかの側に立った意見を言わないと馬鹿ではないかと笑われるような雰囲気であった。これにおされて、わたしも図書館で社会科学の本を読みだしたが、そうすると、「彼は勉強を始めた」という評判になった。いま思えばとんでもない話ではあるが、これが積み重なって、文転することになった。

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