2018年1月10日水曜日

小林良彰(歴史学者、東大卒)の西郷隆盛論、商人の討幕・続

御用金には規則、ルールがない。この点では西洋も同じで、イギリス革命はまさにこの問題を巡って始まった。幕末の御用金は急ピッチで上昇し、三井などもそれを値切るのに苦労していた。幕府は内外の必要からだといっているが、商人にしてみると、大奥、上級旗本の豪奢な生活をそのままにしての「出資強要」は納得がいかない。このままではつぶされてしまう。さりとて、反抗すると、殺されてしまう。
そこでひそかに、反幕府の運動をする人間を支援する。支援しながら、天下の情勢を知らせてもらう。三井は、伊達小次郎(紀州藩士)を隠密として、全国の情勢を探らせていた。のちの陸奥宗光(外務大臣)であった。頭巾をかぶり、刀を落とし差しにした忍者のような姿の写真も残っている。常陸笠間藩の重臣加藤有隣も三井と親しく、高杉晋作とも親しい。幕府から疑われて逃亡し、長州に逃げ延び、高杉の縁でかくまわれた。この高杉は、西郷と二度にわたってひそかに面会したという伝説が残っている。面会の後、高杉は、いわゆる「奇兵隊の決起」(功山寺挙兵)を行い、長州藩の佐幕派政権を打倒した。これを危険と考えた新選組などは、踏み込んで叩けと主張したが、西郷は藩内のことだといって長州征伐軍を解散させた。
つまりこのように、三井の姿は見え隠れし討幕にまでいたる。

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