2018年1月21日日曜日

初期の市民革命は古い伝統的権威にすがろうとする

市民革命の本質をズバリ表した歌がある。
「なにごとも ひっくり返る世の中や 田安の屋敷 安田めが買う」
田安は江戸時代、三家、三卿の一つ、徳川将軍の世継ぎがないとき、ここから出すと決められた家柄、事実、最後の将軍慶喜が引退した後、田安亀之助が後を継いだ。つまりは旧支配者を代表するもの。この屋敷を安田が買い取った。
安田は新興銀行家、のちの富士銀行、現在のみずほ銀行の3ぶんの1をしめる。幕末安田善次郎が、小商人から出発して、銀行業で成功した。のちに東大の安田講堂を寄贈した。
これが革命の結果だというと、「なあんだ」ということになり、「やる気なし」となる人が多いだろう。西郷隆盛は「今となれば、戦死者に対して申し訳がない」と「しきりに涙をこぼされける」と書かれている。
西洋諸国でも同じで、早いころに市民革命を実現した国は、その本質を出さないように努めた。つまり実質はともかく、外見は変わりませんと訴える。そのため、古い伝統的権威を探し出して、それを押し立てる。
クロムウエルの護国卿は、摂政のような地位が中世にあったので、それを採用したもの、同じく中世にあった三部会を復活させようとしたフランスの試みもそうであった。アメリカ独立革命で成立した合衆国憲法が古代ローマ帝国の体制の復活であった。
ナポレオン・ボナパルトがクー・デターで権力を握ったとき、はじめはコンスルの制度を採用した。これは古代ローマの三頭政治の形式であった。そのあと皇帝に即位するが、それは古代ローマそのものであった。この場合、アメリカでも、フランスでも上院は古代ローマのセナトゥスの名をとり、フランスでセナ、アメリカでシネイト(議員をシネター)という。
こう見てくると、日本が日本の伝統的権威を持ち出してきたのは、当然のことといえよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿