2018年4月4日水曜日

小林良彰東大卒のフランス革命論 地主所有地の比率は日・仏両国でほぼ同じ

地主所有地の比率はどれくらいか、裏返すと、自作農創設という政策がどこまで功を奏していたのか。「フランス革命では自作農が大量に作られたので、これがボナパルテイズムの基礎になった、つまりナポレオン3世の政権基盤になった」といいう学説が広く普及した。マルクスの名著といわれる「ルイ・ボナパルトのブリューメール18日」がその原点のようになっている。
こういう学問がまず日本に入ってきたので、日本人は、フランス社会はそのようなものであろうと思っている。その尺度で戦前の日本を見る。すると、地主所有地が約半分、自作農民の土地所有が約半分となる。「地主所有地が多いではないか」、「フランスとは違う」、「この地主が約半分の小作料をとる」、「取りすぎではないか」、「これでは封建社会と同じだ」、このような義憤から出発した学問が、戦前戦後の経済学の主流をなした。
その代表的な著作が、山田盛太郎(東京大学経済学部教授)著『日本資本主義分析』岩波書店であり、ここでは日本の地主制度がいかに半封建的、農奴主的なものであるかが詳しく論じられていた。私が入学したころ、東京大学では経済学部の学生たちが、この本をバイブルのように扱っていた。また経済史学会にも圧倒的な影響力があり、この学説に沿って「土地制度史学会」という独立した学会ができた。ここに所属していれば、学者としての夢と希望があるという雰囲気があった。私も経済学部の友人を通じてその影響を受けた。多くの若い研究者が、各地の古文書を調べて、地主制についての論文を書いた。
ところがである。これは、フランス革命以後、自作農が圧倒的に多くなったという暗黙の前提があって成り立つ理論であった。「果たしてそうか」と疑問を出すものは一人もいなかった。当時、講座派対労農派の論争といって、二大流派が対立し、明治維新が市民革命かそれとも絶対主義を作ったものかについて論争していた。ところが、どちらの陣営もこの点についての疑問を出すことはなかった。
そこに私が口を出し始めたのである。フランス革命直後でも、地主制は残っている。その比率は約半々、小作料率も約半々、つまり戦前の日本社会と同じということになる。これは多くのフランスの研究者が実証的に導き出した結論であった。もちろん、フランスの学者はフランスの事実だけを書くのみで、それが他国の歴史解釈にどう影響するかは、関心を持たない。実証的研究を評価されて、博士号を取り、教授への道を進む。
しかし、日本でこの事実を紹介するものは大変であった。学会の異端児、悪くすれば追放、こういう危険があった。そういう無謀なことを私はしたのであった。多数の研究者の結論を紹介した。全員同じ意見であった。このフランスで当然のことになった意見を、日本の学者はなかなか受け入れない。
正しい結論を書こう。フランス革命の結果、地主制の土地と自作農の土地は約半々として続き、小作料も約半々であった。戦前の日本でも、地主制の土地と自作農の土地は約半々で、小作料率も約半々であった。つまりほぼ同じ条件の下にあり、取り立てて日本が遅れているというものではなかった。
なお、日本では、明治維新直後は、約3割の土地が地主所有地で、残りが自作農のものであった。それが、戦前の約5割に上昇した。フランスでは、フランス革命直後でも約5割のままであった。
またもう一つの違いを。フランスでは地主に3種類がある。貴族地主、ブルジョア地主、農民身分の地主である。この分類で行けば、日本の地主はほとんど農民身分の地主になる。
貴族地主にも2種類がある。領主直領地がそのまま本人に残る場合、フランス革命以前の大領主の領地の一角に下級貴族が土地を持っていた場合、である。後者は領主権廃止によって得をした貴族である。このような複雑な相違があるとしても、フランスだけが特別に自作農を多く持つという理論は、空想の産物であった。マルクスのボナパルテイズム論も間違いだということです。今なおこれを信じている人が多いので、一言付け加えておきます。

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