2018年4月8日日曜日

マラー、ダントン、ロベスピエールの役割

昔はマラー、やがてマラになった。それはともかく、この3人がフランス革命を代表する巨頭とされた来た。私が最後の旧制一高を受験した時も、この問題が出されていた。世界史の教科書には必ず出ていた。
そのうち、マラがまず消えた。次にダントンが消え、今ロベスピエールが消えようとしている。オールドジェネレーションとしては寂しい限りではあるが、それなりの理由があるのだろうし、又あるようにも思う。そこで消え去る前に、その役割を明確にしておこうと思う。
フランス革命の発生について、この3人が決定的な役割を持ったのかというとそうではない。この3人がいなくてもフランス革命は起きている。その点、日本革命・明治維新は、西郷隆盛なしには違った進行になっただろうとは、だれもが考える。つまり、決定的な役割を持っていた。西郷隆盛に相当する人物といえば、フランス革命ではラファイエット侯爵であろう。それでも、ラファイエット侯爵が計画して、あらかじめ勝つようにもっていったというものではない。むしろ担がれたといってよい。
さて、ラファイエットを頂点にして、フランス革命政府は市民革命としての成果を確定した。指導権はフイヤンクラブにあった。これで3年間は過ぎた。野党のジャコバンクラブはまだ勝てない。そのジャコバンクラブにおいても、まだダントン、ロベスピエールはほとんど目立たない状態であった。華々しく活躍したのは、のちにジロンド派と呼ばれるようになった集団であった。マラはさらに野党的なコルドリエクラブを足場とし、選挙権も与えられなかった貧しい地区の住民に同情的な論陣を張っていた。
この野党の野党のような人物が急浮上するのは、オーストリア・プロイセン軍の侵入、敗戦、パリ破壊の宣言という極めて例外的な条件によるものであった。この時パリを守りながら戦争に勝ちたいとするならば、この3人の路線が生きてくる。もう一つは地方都市に退去する案であったが、これは採用されなかった。
そうすると、貧民と掻き立て、選挙権を与え、総力戦に持ち込む以外にない。この道を3人が進み、王権を転覆した。そうすると、国王の行政権の独立が消滅した。拒否権も消滅した。これが重要なところ、領主権の無償廃止、亡命貴族財産の募集売却という政策は、国王の拒否権にあって、効力が停止されている。加えて立法議会ではフイヤン派がわずかにではあるが優勢になりかかっている。再決議でひっくり返されるかもしれない。この時に王権停止が実現した。代わって臨時行政会議が、新内閣となり、それを立法議会が承認した。ほぼジロンド派で固められており、ダントンが法務大臣になった。国王の拒否権は無効とされ、領主権の無償廃止は実行された。
こう見てくると、領主権の無償廃止は、作成までをジロンド派が推進し、実行段階をマラー、ダントン、ロベスピエールが推進したというべきことになる。だからこの3人の役割は大きいであるが、領主権廃止の役割がたいしたものではないとなると、この3人の役割も小さくなるので、歴史書から消えるのかなと思っている。

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