2017年9月4日月曜日

絶体主義均衡説が科学的歴史観を歪め、日本史に誤解をもたらした

エンゲルスの書いた均衡説が19世紀ヨーロッパで多くの人たちに支持され、20世紀ソ連で政府公認の理論となり、日本社会に対する判断の根拠になった。これを32年テーゼという。天皇制絶対主義説であり、地主と財閥の勢力均衡を軸にしていた。反対する側もエンゲルスの理論には疑問を持たなかった。もし、均衡説が誤りであれば、この論争そのものが一気に崩れる。その決め手は、ヴェルサイユに集まった貴族たちが、領地を失っていたのか、それともその時点で領主であったのか、もしヴェルサイユから追放されたとき、失業者のようになるのか、それとも自分の領地にかえって領主としての生活ができるのかどうか、これが決め手になり、あとは実証の問題になる。私はこつこつと事実を集め、それは約十年後に出版した「フランス革命経済史研究」のなかで紹介することができた。ヴェルサイユの著名な大貴族がどのような領地をもっているか、その人がどのような官職を持っていたかなどの事実を網羅している。これで、絶対主義均衡説は間違いであることを証明できた。すると天皇制絶対主義説も間違いになる。それに反対してきた労農派も、根拠薄弱で、ピントが狂っていることになる。そうすると、日本の市民革命が戦後の改革に相当するかのように評価してきた学説は間違いとなり、明治維新がフランス革命に相当するものであるという側に正当性が出てくるのである。多少のエピソードを付け加えます。ルクセンブルグ大公、モナコ大公も当時ヴェルサイユに伺候していた。ルクセンブルグはフランス語読みで、リュクサンブールとなり、この名をつけた公園が今もパリにある。大貴族のトップはこういうもので、独立すれば小国の君主になりうるものでもあった。

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