2017年9月8日金曜日

八 土地革命説の続 領主権廃止の効果

フランス革命では、領主権が二段階で廃止された。第一段階は1789年バスチーユ占領、ヴェルサイユ行進で国王ルイ十六世をパリに移し、ヴェルサイユの大領主、大貴族から権力を切り離し、国民議会、つまり旧三部会に権力の指導権をもたせたことであった。この時、領主権、封建的特権の有償廃止が公布された。ある部分、年貢,貢租ともいう、など、領主が土地を貸していた部分に対する封建地代は20年分ていどの一括支払いで廃止してやろうというものであった。これでは実質的には続くことになる。
第二段階、1792年、いわゆるジロンド派政権が成立した。この時にはジロンド派という言葉はなかった。王権停止、共和国の宣言、普通選挙に基づく国民公会の招集、国王一家の投獄などが普通の歴史書で書かれているが、この時に領主権、封建的特権の無償廃止が公布されたのであり、土地革命論ではこれが重要である。ところが、教科書や大学の講義では、之には触れていなかった。もう一年後だと書いていた。しかし実際にはこの年のことであった。
さて、領主権が無償で廃止されたらどうなる。日本人ならば、大名、武士は一気に転落、無収入、こういうことが本当に起きるのか。彼らは剣を持っている集団であり、政府はそれに対抗するだけの力を持っているのか。ありえない。そこで日本では、まず政府に領主権収入を集め、政府から従来どうりの権利を保障した。その後、段階的にその額を縮小した。つまり有償廃止である。これをもって、日本の改革は不徹底だったとまずほとんどの学者が主張していた。「フランス革命は徹底的だなあ」という感想である。
本当にそうか。実はここに、日本人のだれもが気が付かなかった事実があるのだ。西洋の領地は個人所有であった。大貴族は大領地を、小貴族は小領地をもっていた。それぞれの領地に直営地、直領地、「近くの土地」とよばれる土地があり、集落はその向こうにある。この近くの土地は貴族の個人財産とみなされ、領主権廃止の影響をうけない。つまり、領主権が無償で廃止されても、約半分の土地は残るのである。しかも、城、館の周辺にである。これでフランス革命以後でも貴族大土地所有が残ることになる。

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