2017年9月25日月曜日

十六 市民革命以後は経済界の分裂抗争が政争と連動する。

内外の情勢が平穏な時は、動産支配の上にたつものはそれなりの安定を維持し、日ごろのビジネスに没頭している。戦いの基準は、どれだけ儲けるかである。利潤追求が原則になる。しかし、動乱が始まると、それにも対応しなければならない。しかしビジネスは過酷なもの、これに全身、全霊を撃ち込まなければ競争に負ける。古来「侠商」と呼ばれる人たちがいて、動乱の時に活躍する。日本では、岡田平蔵、五代友厚,石倉屋卯平などなど、多くの人たちがビジネスと国の将来を両立させようとしてきた。しかしこれは長続きしない。そこで、動乱の中で、大衆の支持を得ている指示か、社会運動家、あるいは軍人などと結び、資金援助をして、それに権力を獲得させる。自分は背後にいて姿を見せない。見せても財務大臣程度で控えめにしている。「かくれた実力者」になる。この場合、大衆運動の標的を攻撃するから、一見すると反経済界、反財閥、反ビッグビジネスになる。に見える。またそのような幻想を大衆に振りまくので、学者やジャーナリストがそのように主張する。実際、ニューデイールでもGМ、フォードなどは課税を強化され、忍び寄る社会主義と批判した。しかし大恐慌のどん底が過ぎると、元に戻る。これが普通だとして、時には、とくていの二次ネスパーソンに対する打撃が、その存在の抹殺にまで発展する。それをみると、反財界の運動のように見えてくる。このようなある種のテクニックに惑わされると、歴史理論が間違ってくる。じつは間違った人間はそれで幸せであった。幻影を現実と思い、疑似餌に食いついた魚のように誘導されていった。もしこの時真実を言う人間がいたらどうなる。それは抹殺される。そこで真理は消え、疑似餌に食いついた理論だけが残る。人間社会はこれで幸せなのだが、之では明治維新が市民革命であることを証明できなくなるので、あえてにがい真実を主張するのである。とはいうものの、私も最後部分については、はっきりと言い切っているわけではない。

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