2017年9月21日木曜日

十二 新時代は支配の本質を隠そうとする。

市民革命の本質を見誤ることが多いのは、新時代の支配者が国民に正確な姿を知られたくないと思うからである。旧時代ならば、自分が住民をまもっているという姿を見せることができる。特に西洋諸国はそうである。しかし、新時代では、ビジネスで成功すれば支配者になれる。しかしそれが国民大衆から尊敬されるかどうかは疑問であろう。汚く儲けて、きれいに使えという言葉もある。金持ち喧嘩せずという言葉もある。流動資産はいつ盗まれるかわからない。だから、隠せるものは隠しておこうとなる。さらにもう一つの問題がある。これは特に、19世紀とそれ以前に市民革命を実現した国について言える。いつ外国から攻め込まれるかわからない。また周囲の貴族社会から、成り上がりものの集団と笑いものにされる。戦争となると、以前は支配者だけが戦った。今度は、自分らが責任持って戦いますといえるかどうか。それは無理というものでしょう。中産階級いかから人を募って、戦士にしなければならない。これらの人たちが、「所詮この世は金の世の中」という信念を持つと、戦って勝てるかというのである。唯一金持ちが尊敬される場合がある。それは冒険商人が必需品をもたらしてくれる場合である。オランダ、イギリス、ヴェネチア、アテネなどがそうである。こうして一般的には支配の本質を隠そうとする。之が分かりにくくしているのである。

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