2017年9月20日水曜日

十一 新時代の支配の形式は多様であり、そこに法則はない 

旧時代はどこの国も実質的な王政であり、支配者ははっきりしていた。むしろそれを押し出す傾向があった。これを倒した新時代では、さまざまな支配の形式を採用する。外見的復古主義、民主主義、それも制限選挙制と普通選挙制、一院制、二院制、個人崇拝にもとずく独裁、過渡期の三頭政治、などなど、これは誰もが知っているので、詳しく羅列する必要はない。そこには法則性はない、之だけを確かめておけば十分である。この確認が特に必要な国は、ほかならぬわが日本であろう。明治維新が市民革命に相当する、というと、「市民革命には民主主義が伴う。討幕から約二十年間民主主義は全くなかった。フランスにはブルジョア民主主義革命があった」と反論される。これを絶体と信じているから、こう人にそれ以上どう説得することができるかというのである。もはやお手上げという心境になったものである。しかし、フランスでも、ナポレオンが軍事クーデターで、議会を廃止して、独裁政権を樹立したのであった。これも市民革命後の国家形態である。イギリスのクロムウエル政権もそうである。むしろ積極的に「市民革命は独裁政権を作ることもありうる」と定義するべきであろう。こうすれば、ブルジョア民主主義革命は必須の条件ではなくなる。

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