2017年10月21日土曜日

恐怖政治はなぜ起きたか 続 9月2日以後

ともかく、ラコンブ率いる女性の大群の圧力と、ダントンの発言、議長ロベスピエールのまとめで、ある政策の実行が進められることになった。それが、穀物の強制徴発、家宅捜査、物資隠匿と買占め、売り惜しみに対する死刑の実行を含むものになった。それを実行する集団として「革命軍」が即席で組織された。これはフランス革命軍とは別物であったから、ここのところをはっきりさせないで論じる人は、フランス革命の本質を間違えることになる。軍隊はすべて前線に出ているから、いわゆる「革命軍」は急ごしらえの別組織であった。幹部は過激派の指導者、兵士は貧民街の住民出身であった。これが付近の農村に到着すると、「まず大きな家に行け。間違いなく買い占めにんだ。余分な穀物を見つけたら、買占め人としてギロチンにかけろ」という方針をしめされたので、このようにしたのである。これはエベールの書いたものである。これでは恐怖政治になってしまう。これは貧民の側からする恐怖政治であった。

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