2017年10月6日金曜日

続 ナポレオンがクーデターで倒したもの

ナポレオンの背後、支持者に銀行家、産業資本があったことは分かったとして、ならば彼の攻撃の矛先は誰に向けられたのか、この点についての説明が、どの書物や論文にも出てこないのである。だから訳が分からないのである。この上となると、大貴族だけになるが、それはヴァンデミエールの反乱事件で、ナポレオンがこれに砲撃を加えたので、そうではないことが分かる。ならば誰か。これを解明しないことには、ボナパルテイズムの謎は解けない。だからへんてこな理論が出てくる。
この時代、ヨーロッパの強国相手の大戦争が長引き、軍隊への物資供給が一大ビジネスに成長した。そこにあらゆる階層から参入者が現れた。フランス語で「フルニスール・オ・ザルメー」という。軍隊に対する供給者という意味であり、日本語では「御用商人」と言ってもよいが、この言葉には「卑屈」な響きかあるので、この場合は使うと誤解を招く。したがって、「武器商人」と言い換えて、食糧も含むことにしたい。また莫大な「戦利品」の輸送も含むから、その時の「横領」も考慮、想像する必要がある。こうしてこの集団が財界を圧倒するような力を持ち始め、政界トップとの癒着が深刻な問題になった。この頂点に立ったのが、「ウヴラール」という巨大武器商人であった。中小企業者から身を起こし、総裁政府の時には第一総裁バラとの個人的交友関係を深めて、巨利をむさぼったといわれる。この集団の連日連夜の豪遊、腐敗、堕落は後世有名になる。その影響で、軍隊に対する物資供給が滞り、フランス軍の戦力が低下した。これもフランス軍が敗北を重ね始めた理由の一つと言われる。各地の軍司令官から苦情が寄せられるようになった。
さらに財政状態も悪化し、影響が市民生活にも出始めた。この不満を背景に下院では反政府政党が進出し、ジャコバン・クラブが再建され、恐怖政治の公安委員ロベール・ランデが指導者として出てきた。
ナポレオンのクーデターはこの二つの勢力に向けられた。普通の歴史書では後者のほうへの打撃だけが書かれている。しかし、現政権に対する反逆という意味がクーデターであるから、総裁バラと巨大武器商人の複合体制を打倒しなければ、意味がない。バラは圧倒的な武力の前で、ていこうの余地なく退場した。ウヴラールは軟禁された。しかしここからが問題、処罰しようとしても、軍隊への供給が途絶えると困る。両者困ったところで、妥協が成立し、値引きが提案されて、以後正常な活動に戻った。ここで、ナポレオンはイタリアに向かって出動し,マレンゴの戦いで成功する。
この筋書きを見ると、財界の分裂と妥協、これがボナパルテイズムの本質であることが証明できる。

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