2017年10月4日水曜日

続 第二統領カンバセレスは大工業の経営者

ナポレオンが帰国し、クーデターを起こし、統領政府を樹立した。1799年11月10日のことである。ひと月のちに人選が固まり、第二統領カンバセレスに落ち着いた。これで1804年帝政まで続くことになるが、ナポレオンは戦争に出るから、内政という意味ではこの人物の存在は重要であろう。ジャン・ジャック・レジ・ド・カンバセレス、普通の歴史書にはほとんど登場しないが、ボナパルテイズムの本質をいうときには重要な役割を示すことになる。名前のとおり貴族ではあるが、法服貴族であり、ナポレオン法典の責任者であった。ナポレオンが法典を編纂するわけではない。これは誰でもわかることである。
もう一つの性格、これはどの論文、本にも書かれていない。かれは、繊維工業の王立マニュファクチュアの経営者であった。もちろん実力経営者であって、サラリーマン経営者ではない。こういうのを大塚史学では「前期的商業資本」による「特権的大工業」に分類し、市民革命で打倒されるものというが、なかなかそうではない。つまり、大工業家兼貴族兼法律家の性格を兼ね備えていて、恐怖政治の時は、穏健派議員でありながら、政府からは攻撃されなかったという、不思議な人物であった。ペルゴの万年与党、ルクツーの貴族兼法服貴族と似ている。ナポレオンの権力はこういう方向に落ち着いたといえよう。これで、ボナパルテイズムが財界、経済界の政権であることが証明できる。

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