2017年10月25日水曜日

恐怖政治の第2期 ダントン派とエベール派の策動

1793年の年末までに穀物の事情は危機を脱して、騒ぎは静まり、過激派は抑えられた。外敵との闘い、ヴァンデー暴動との戦いも、絶望的な状態を脱した。これで穏やかになるかと思われたが、1794年の初めから深刻な肉不足がはきまった。冬の寒さを乗り切るのには、深刻な問題であった。これで人心が動揺したとき、エベールが先頭に立って、買占め人をギロチンにかけよという運動を展開した。獄中の囚人を食ってしまえとも書いた。大商人も小商人も容赦しないとも書いた。大衆運動が高まると、国民公会の全員が良くない、自分はクロムウエルになりたいと言い出して、武装蜂起を呼び掛けた。エベールの足場はコルドリェクラブであり、ジャコバンクラブよりはもう一段下層の人々の集まりであった。エベールの告発によって、多くの人たちが逮捕、処刑された。
ダントン派の人々も攻撃の的になった。旧体制の時代からの国策会社インド会社の清算を巡って、ダントン派の議員たちが私腹を肥やしているというのである。約十人のダントン派議員が逮捕されたが、こちらも反撃して、エベールの背後に外国人銀行家がいる、と暴露した。これを言い出すと一つの論文ができるほどのものであるが、ここではこれが事実であったというだけにしておこう。こうした騒ぎの中で、公安委員会と保安委員会は結束して、ダントン派とエベール派を処刑してしまう。これも恐怖政治ではあるが、まだロベスピエール個人の突出した役割は出てこない。

0 件のコメント:

コメントを投稿