2018年3月3日土曜日

小林良彰(歴史学者東大卒)の西郷隆盛論 江戸開城はフランス革命よりも急進的 続

フランス革命の封建的特権の廃止については、世界中でこの言葉に騙されるというか、酔わされる傾向がある。もし日本ならば、この言葉で、武士階級、つまり大名から足軽に至るまで、一気に没落させられると想像する。思い切った近代化だと称賛する。それに比べて我が国はなどというのが昔からのやり方である。
しかし実態は違う。国民議会による封建的特権の廃止とは、領地の中で、領主が領民に貸している部分(これを保有地という)について、特権を廃止するが、人心にまつわるものは無料で、土地にまつわるものは買い取ることができるとしたものである。
これは日本人にはわかりにくい。説明する側が分からせることに無力感を感じるものである。まず無料で廃止されたものといえば、領主裁判権、領地内での狩猟権、鳩小屋の権利、通行税、水車小屋、パン焼きかまど、圧搾機(ブドウの)など、共同体的権利の使用権、このようなものを無料で廃止するというものであった。
これはそれなりに近代国家に近づくものであったが、土地にまつわるものは、買い取ることができるというのは、買い取らなければ今まで通りといっているのである。封建地代、地租、貢租などと翻訳されるが、収入の10分の1程度を領主におさめる。これが無条件廃止ではなくて、20-25年分の一括払いで、廃止しようというのである。これでは大多数の農民は払えない。一種のごまかしではあるが、これで一時的に騒ぎは収まった。この程度の改革で現在まで来ている近代国家がある。それはイギリスであるが、これを認識する人が日本には少ない。
もう一つ、城や館の周りに広大な土地がある。そこで馬を乗り回す。貴族はここで武術、馬術の鍛錬をする。森林もついていて、狩猟もする。これは領主の個人財産であって、廃止の対象にならない。日本人は、こういうものも廃止されるだろうと思っている。
こう見てくると、封建的特権の廃止は、勇ましく聞こえるけれども、大したことはしていないのである。土地所有関係については、何一つ変化がないといってよい。
これとは対照的に、日本では、江戸開城はフランス革命よりも劇的、急進的、徹底的な改革が行われたのであって、無血開城と自賛されるが、本来なら死にもの狂いの流血になるべきものであった。江戸城の周囲に、旗本、御家人の住宅がある。大名屋敷もある。旗本、御家人は静岡へどうぞというわけだ。大名は郷里に帰れとなる。上級旗本は関東平野に領地を持ち、立派な屋敷を持っていた。それも全部捨てて静岡にという。旗本八万騎といわれる。実態は約3万程度、これが静岡藩に押し込められた。中でどうなったかは誰も関心を持たない。彰義隊戦争で傷ついたものは極貧の中で死に、5000石取りの旗本が車引きに張り、旗本の妻が女中になり娘が芸者になったなど、哀れな状態になった。なぜ反抗しなかったのか、それは鳥羽、伏見の戦いで負けたからである。つまり大戦争で負けたからこうなったのである。
フランス革命では、当初小競り合いで決着がついたというべきであり、だから寛大でもあった。やがて、大戦争が起きてひどいことになる。
もう一つ、日仏両国の置かれた条件の相違がある。フランスは大国であり、外国からの脅威はなかった。日本は開国したばかりの小国が、西洋列強の侵略にさらされていた。軍艦、大砲、小銃、近代的軍隊、鉄道、産業革命など、急ごしらえで追いつかなければならない。そこに、巨大な資金をつぎ込む必要がある。フランス革命では、財政赤字を解消することだけが、新政府の課題になった。日本では、それだけではだめなので、新政府の手段がより厳しいものになった。
もう一つの問題がある。騎兵軍団の必要である。日本の国土では、これが必要なしと思われる。歩兵、砲兵は、武士階級の軍団よりも、徴兵による兵士がいて、そのうえの指揮官が武士的素養、貴族的素養を持つものになっていることがのぞましい。だから少数の旧武士だけが必要で、あとは解体した方が、となる。この道を新政府がとった。

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