2018年3月9日金曜日

小林良彰(歴史学者東大卒)のフランス革命論 初期政権は上流階級

バスチーユ占領の一年後、ネッケルとネッケル派大臣の辞職があって初めて、革命勢力が政権を握ることになった。これはいったい何者か。庶民の味方か。そうではない。
派閥でいえばラファイエット派、正式の名称は、「1789年協会」が政権を動かす集団であったが、入会金100リーブル、これは現在の100万円に相当するが、当時の貧富の差を考慮すると、はるかにおおきな価値をもっている。当然、普通の人間では入れない。
まず自由主義的大貴族が参加した。ラファイエット侯爵、ラ・ロシュフーコー・リヤンクール公爵、ミラボー伯爵、コンドルセ侯爵など、高級聖職者ではタレイラン司教、シエース副司教(この二人、のちにナポレオンの外務大臣、第3統領になる)などである。
もう一つの集団は、ブルジョアジーの最上層、大商人、銀行家、徴税請負人(国王に税金分を収め、あとから徴収する権利を行使する高利貸的金融業者)であった。サンレオン、ぺルゴ、ドレッセール、ボスカリ、ラヴォアジエ、ルクツー、ジョージ、コッタンなど。ルクツー、ボスカリ、ドレッセールはパリの反乱を組織したパリのブルジョアであった。ラヴォアジエは徴税請負人、科学者、メートル法などの制定に貢献した。
また大貴族とブルジョアと学者の抱き合わせのような人物もいる。天文学者バイイ、弁護士ツール、経済学者デュポン・ド・ヌムール(アメリカの財閥デュポンの祖先)など。
法服貴族のレデレ伯爵、ダンドレ伯爵など、法律家兼大貴族というものもいる。
こういう勢力がフランス革命第一期に権力を握った。自由主義的大貴族と最上層のブルジョアの同盟であった。
こういう局面は、日本で見ることができない。日本では、「バカ殿さま」、「高貴のお方はうかつにて」、「名君といわれた人は、普通の人だった」という言葉がある。島津斉彬だけが違うかもしれない。フランスでは、なかなかの人物が輩出している。自由主義貴族の多くは、アメリカ独立戦争に参加して、戦ってきている。歴戦の勇士だ。こういうものを日本の大名に見ることはできない。であるがゆえに、新時代には登場しない。
こう見てくると、どこに庶民が出てくるのか。あるのは、上層部の変革に過ぎなかった。それでも革命であった。自由主義貴族は、ヴェルサイユで冷遇され、少数野党のようになっていた。法服貴族は、ヴェルサイユ城に入れない。ブルジョアは金があっても権力に到達することはできない。もちろんヴェルサイユ城には入れない。それが、政権を組織する団体を作ることになった。すなわち革命である。これがフランス革命の基本的結果である。これを明治維新に適用すればよいのである。

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