2018年3月14日水曜日

小林良彰(歴史学者東大卒のフランス革命論)立法議会で市民革命は完結する 

立法議会は約1年後に、国民公会にとってかわられる。そのため、歴史の中では影が薄い。これも、市民革命として国際比較するときの誤解の種を残している。フランス革命といえば国民公会、国民公会といえば普通選挙制、徹底した民主主義、ジロンド派対ジャコバン派の対立、領主権の無償廃止、土地革命、こういうものがなければ市民革命ではありえないと思われてきた。「フランス共和国は唯一にして不可分」、これも教科書に載っている。
まずこうした誤解を解くことから始めよう。「フランス王国は唯一にして不可分」、これが立法議会を定めた憲法に書かれている。近代的統一国家を宣言したのは、国民議会、憲法制定議会であった。これを国民公会の業績にしてしまうだけで、市民革命の国際比較が狂ってしまう。
なぜこれが問題かというと、日本人にはわからないことだが、フランス王国が絶対主義の段階にあったころ、周辺地域の有力大領主がヴェルサイユに来て、臣下の礼をとるだけで、その国はフランス王国と認められていた。例えばルクセンブルグ大公、モナコ大公、などなど、今は独立国でフランスではない。つまりフランス革命までは、フランス王国は「唯一」でもなければ、「不可分」でもなかった。「今後は、離れることがまかりならん」といっているのである。これを見ると、絶対主義必ずしも絶対的ではなく、市民社会のほうがより中央集権的であることがわかる。形式は民主主義、実質は官僚統制による中央集権、これが近代フランスの本質で、フランスに住むと肌身で感じる。
普通選挙制がなければ、市民革命ではないという固定観念がある。これも間違いで、立法議会の選挙では、約半分の住民が、選挙権を持っていなかった。制限選挙制である。一定以上の収入がなければならない。能動市民、受動市民の区別があり、工房の主人は前者、そこで働く職人は後者となる。能動市民のみが市民革命の市民であった。
このように理解すれば、日本の明治憲法もこの程度のものであり、立法議会と同じ水準であるから、フランス革命後の政権と同じといえばよい。それをそう言わないのは、立法議会に対する過小評価から来るのである。
立法議会は、その他多くの改革を伴った。近代社会に必要な制度を作った。度量衡の統一の努力、郡県制、地方自治体の制限選挙制など、多くの改革で近代国家としての体制を作り上げた。
ただし、もう一つの問題は抱えている。領主権収入である。中心は貢租、年貢、封建地代であった。これは財産権を解釈された。自由、平等、財産の時代、財産権は貴重であり、神聖なものとされた。そこでもし、フランス革命がこのまま収まるのであれば、以後のフランス社会は、イギリス型の資本主義になったであろうと想像される。イギリスは今なおこれだからである。こういうと、「その通り」という人と、仰天する人に分かれるだろうが、実際はこうなのである。これでも市民革命たりうるのであり、そこのところを正確に押さえておきたいのである。

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