2021年12月3日金曜日

01-フランス革命史入門 まえがき

フランス革命の歴史は、巻末にまとめられているように、じつに多くの書物になって紹介されている。そこにもう一つのフランス革命史をつけ加えようとすれば、それなりの存在理由を説明するところから始めなければならないだろう。

日本におけるフランス革命の紹介も、時代の流れを反映している。戦前の革命史はジャコバン、サンキュロットの流血行為を強調し、貴族、ジロンド派に同情する史観であり、左に進んでもせいぜいダントンを国民の英雄として評価する程度にとどまり、これを殺したロべスピエールの偏狭さが問題にされるようなものであった。また、軍国主義時代を反映して、フランス革命の戦争史、戦術史の紹介も盛んであった。箕作元八氏が人民史観の立場に立ち、革命にそれなりの理由があることを説いたとき、当時の進歩的歴史観を代表するものになったが、まだ政治史中心のわくを出られなかった。

戦後、科学的な革命史をめざして、経済問題を重視する風潮が急速に拡大した。もちろん、これは、戦前から進められていた日本資本主義論争の一環として、フランス革命の経済的内容の部分的紹介が行われていたことの延長でもあったが、戦後に入って、高橋幸八郎氏の土地問題、農民問題とマニュファクチュア、特権工業についての紹介が、新たな出発点となった。

それと並行して、ソプール、マチエのフランス革命史が翻訳されたが、ここには経済問題が盛り込まれていた。

ルフェーブルの著書も翻訳され、農民問題がクローズアップされた。これ以後、農民問題、マニュファクチュア、サンキュロットが研究の主流になった。ダントンにかわって、ロベスピエールが革命家の中心に据えられた。

かつては、恐怖政治はきらわれ者であった。今やこれが逆転して、ジャコバン、サンキュロットが評価された。そこまではよかったとしても、やがてこれが極端に進んだ。科学的と称し、人民史観を唱え、ジャコバン独裁、サンキュロットの権力を強調すれば、それで真理を語っているかのような傾向が進んだ。ここでフランス革命史の研究が硬直をはじめた。科学的と自称する非科学的な革命史家が多くなった。

私は、こうした条件をふまえて、まだ不十分と見られるテーマに研究領域を拡大した。残された重大問題として、権力の本質、財政問題、貴族とブルジョアジーの具体的な姿、国民公会における平原派の実態、土地問題の総合的観察、貴族、地主の大土地所有の残存などがあった。

これは、以前の革命史に欠けていたものであった。たとえば、「貴族」と書くが、その貴族がどのような領地をもち、どのような権力をもっていたかを説明しない。「ブルジョアジー」とはいうが、それが、どのようなものであったかの実例は入ってこない。

これでは、理論が宙に浮いてしまう。

そうしたところを補強して、もう一度フランス革命を見なおしてみると、従来のフランス革命史は、原因、結果の理解について、重大な誤りを含んでいるといわざるをえなくなった。それが何であるかが、本書において展開されている。

すでにこうした主張は一〇年前から『フランス革命経済史研究』、『フランス革命の経済構造』を出版して、展開している。しかし、これらはテーマ別の研究書であり、実証の部分が多すぎて、一般の人には入りにくい。日頃接している学生からも、通史を、この立場から書いて欲しいという要望が出ているので、本書を書くことは、かねてからの懸案になっていたのである。

本書の特徴を一口でいえば、政治と経済の絡み合いに焦点を当てたフランス革命史である。それが、従来の革命史とどのように違ってくるかを示すために、ところどころで、他の学説との比較を行っている。とくに、ソブールとマチエの革命史がよく読まれているので、その中の解釈と私の解釈を対比している。また、巻末に、日本で出版された主なフランス革命史の短評を書いて、本書との相違点を示す努力をした。

本書は、明治維新の解釈を念頭に置いたフランス革命史である。そのため、文末に、両者の対比を加えた。フランス革命をこのように解釈すれば、明治維新の解釈がこのように変るという形で、明治維新についての誤解を訂正しようとしている。ただ、原稿枚数も限られているので、とりあげた学説の原文を紹介することはできなかった。いずれ、筆を改めてそうした学説の批評をくわしく書いてみたいと思っている。

さしあたり、本書では、フランス革命の包括的な知識を得て、今まで日本に紹介されてきたフランス革命史の概要を知り、あわせて、従来積み重ねられてきたフランス革命史への誤解をとき、権力と財政の問題を主軸にしてブルジョア革命を把握していただきたいと思っている。


一九七七年八月四日

小林良彰 

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