2022年3月25日金曜日

29-フランス革命史入門 フランス革命史文献の解説、短評

フランス革命史文献の解説、短評


カーライル 『フランス革命史』六巻 柳田泉訳

力アライル 『佛国革命史』四巻 国民文庫刊行会 大正六年

バスチーユからナポレオンの出現までを、主として政治史中心に描いている。戦闘の模様や、処刑、虐殺の様子をくわしく、なまなましい描写でたどる。全体が美文調であるから、原文が出版された当時(一八三七年)の読者には適していたが、現在では読みにくいものになっている。

バスチーユのときの宮廷側と国民議会、パリ市民の反乱の対抗関係は現代のものよりも忠実に、物事の本質を理解できるように紹介している。ダントンを国民の英雄として扱い、ロベスピエールは流血の独裁者のように描いている。また、革命軍の行った残虐行為をくわしく書いているのも特徴である。


クロポトキン 『フランス大革命』淡徳三郎訳

アナーキストの立場から過激派の立場を評価。ジャック・ルー、ルクレール、ショーメットの逮捕を共産主義運動の衰滅という。ショーメットも共産主義者の陣列というが、エベールは政治思想のため、経済革命とは縁のない方向へ逸脱したという。新興ブルジョアジーがロベスピエールを支持し、革命の幕をとじさせ、進歩的党派を粉砕させ、そのあとジロンド派権力への復帰に道をひらいたという。これではロベスピエール自身の党派の説明がなされず、ただカイライにすぎないような叙述になる。


ガクソット 『フランス革命』松尾邦之助訳

多くのエピソードを盛り込んだ物語り風の革命史であるから、面白く読める。ただし、革命の側の行った残虐行為や、腐敗、汚職についてくわしく、外国軍や反革命の側の行為についてはさらりとふれているだけであるから、革命のいまわしさが強調されるような印象を受ける。経済問題もかなり扱っているが、全体をとおした理論的な考察はない。


ジャン・ジョレス 『佛蘭西大革命史』八巻 村松正俊訳

第一次大戦当時の社会主義者ジャン・ジョレスの著書にふさわしく、フランス革命を経済的、社会的要因から説明しようとする。テルミドールの反革命まででとめているが、長文の資料が文章の間に散在しているため、尤大な量の革命史になっている。

革命中の各党派の経済政策についての資料を紹介し、ときに「最高価格法は賃金労働者を利したか」というような論証を行っているが、政治史と経済史が並列的に置かれているので、どの党派がどの階級の代表として行動したのかという解釈が明確にされておらず、もう一度自分の頭で、文中の資料をもとに組み立てなければならないようなところがある。ロベスピエールは偉大であったが、問題解決に必要な性質に欠けていたといって、ロべスピエールの敗北の原困を個人の資質にしているが、革命の経済的因果関係をさぐろうとしながら、肝心なところで昔流の人物史のわくから出られなくなっている。

ダントンについては、ルイ一七世を王位にすえようとした王党派的傾向をもっていたといい、本人の財産は汚れていないという。ただし、ダントン派の処刑とインド会社をめぐる汚職事件の関係はくわしく描いている。このように、すべての分野が多面的に描かれているのが特徴である。


テエヌ 『近代フランスの起源・佛蘭西革命史論』二巻 岡田真吉訳

 テーヌはフランス革命を徹底的に憎み、バスチ-ユ襲撃は無政府状態であり、ジャコバン独裁は鰐のようなもので、人間を食いつくし、ついには共食いをして、自分も食われてしまうというような発想で、きめつけている。

テーヌの叙述は、全体に、このような文学的、哲学的な傾向が強く、歴史描写の中に、自分の思いついたアイディア、評論、エピソードの紹介が入りこみ、散漫な感じがする。

 日本に翻訳されたのは、そのうちの最初の部分「旧制度」のみである。この中で、宮廷の生活作法、貴族のサロンの実例について、エピソード風の紹介がある。理論的に整然としたものではないが、当時の宮廷貴族の実態が読みとれるという意味では、意味がある。現在、宮廷貴族の権力と財力を過小評価するフランス革命史が盛んであるだけに、そのことがいえる。


カウツキー『フランス革命時代における階級対立』堀江英一・山口和男訳

 岩波文庫の文庫本である。カウツキーがマルクスとエンゲルスの理論をフランス革命の具体的事実に適用するために書いたものである。当時としては、階級的なものの見方、経済的因果関係に注目した先進的な歴史理論であった。それだけに、マルクス主義史学に大きな影響を与えた。とくにフランス絶対主義を貴族とブルジョアジーの均衡であると規定したところが、絶対主義の理論にたいして決定的な権威をもつに至った。

 彼の均衡論は世界的に普及した。ルフェーブル、マチエ、ソブールすべてその影響を受け、貴族を描くときはその没落の傾向を、ブルジョアジーを描くときは、事実以上に強い立場を主張するようになった。テーヌにまでさかのぼらなければ、貴族が強力であったという解釈には、お目にかかれなくなっている。

 均衡論は、日本にも重大な影響を及ぼした。三二年テーゼにみられる天皇制絶対主義説であり、地主と財閥の均衡を根拠にしたものである。その意味で、カウツキーは日本の現代史に生きている。

しかし、これは誤りである。フランス絶対主義の王権を構成したものは宮廷貴族であった。王権が、これから独立したり超越したことはなかった。事実を描くときは、国家権力に対する宮廷貴族の特権をとりあげているが、理論をのべるときは、そうした事実からとび離れて均衡論に走るのである。

 均衡論から脱け出すこと、これが第一の重要課題であり、私が宮廷貴族の実態について多くの紙面を使った理由である。


トムソン『ロベスピエールとフランス革命』樋口謹一訳

 流血と恐怖政治を代表する人物として嫌われているロベスピエールについて、積極的に弁護しようとする書物である。革命の第一原則をこれほど潔癖に尊重して生きとおしたものはほかにいないという。ロベスピエールが中産階級下層すなわち小ブルジョアジーのスポークスマンに自分を仕立てあげ、徳の共和国を理想として、その実現に奮闘したことを強調する。ただし、ロベスピエール派の孤立にいたる過程を、最高存在の祭典、プレリアル法を中心に説明し、ヴァントゥーズ法については、囚人の財産で貧乏人への補助金をまかなうと解釈して、簡単に飛ばしているので、社会改革の理想も、敗北にいたる必然性も十分な説明を受けているとはいえない。それにしても、ロベスピエールへの偏見を解こうと努めているところは評価するべきものがある。


ニコル『フランス革命』金沢誠・山上正太郎訳

 小さな本であるが、分析的な内容のものである。時代を追って叙述する前に、革命の性格についての理論的要約を行っている。その傾向は、「マチエとルフェーブルの理論の融合といえる性質のものである。革命前夜における王権と特権階級の対立を強調し、特権階級の反抗が三部会の召集を実現させたといって、王権もまた貴族の権力であったことを重視している。

ジロンド派追放の事件をサンキュロットの革命といいながら、山岳派は市民出身者から構成されているが、その政策の実施にあたっては第四階級の希望の実現を熱心に追求したという。また、ロベスピエールの孤立については、個人的な成功にたいする疑いであるとしているが、事件は正確に、しかも口ベスピエールに同情的に描いている。


ミシュレ『フランス革命史』桑原武夫他訳

 当時に書かれた革命史としては、人民史観の側に立った進歩的なものである。豊富な事実、文学的な表現が特徴である。この訳書は尨大な原文を要約したものである。革命と反革命の闘争に加えて、外国軍を相手にした絶望的な戦争の進行が立体的に組み立てられていて、当時の状態を理解するのに役立つ。王妃の処刑が、リヨンの反乱、北部軍の絶望的状態のため、ほとんど反響を呼ばなかったという描き方は、正確な描写である。

 ただし、経済的な因果関係、階級的な分析方法はほとんど見られない。バスチーユを陥落させるまでのいきさつはくわしく紹介され、誰がどのようにして殺されたかもくわしい。しかし、敗者と勝者が、どのような階級のものであるかについてはあまりいわない。どちらかといえば、指導者の個人的な性格や行為を中心にした史観である。


ソブール『フランス革命』小場瀬卓三・渡辺淳訳

 フランス革命を、政治史中心主義から脱皮して、経済的、社会的な観点から見なおし、また階級関係をつねに分析の中心に据えて見ながら、絶対主義の時期から、ナポレオンの時期までを綜合的に叙述している。そういう意味では、翻訳された当時では画期的な意味をもち、標準的な通史として扱われた。現在でも手軽に読める入門書としての価値はある。

ただし、理論的解釈に無理のあるところが目立つ。その点についてはすでにのべてきたとおりである。革命により「市民的土地所有は他のどの階級よりも大きくなり、貴族的土地所有は消減しなかったし、農民的土地所有は前進した」という書き方でまとめる。他方で「旧制度の貴族階級は」「決定的な打撃をうけた」として、これに代って、階級関係がブルジョアジーに有利にかわったという。また農民が分解して、一方に農村ブルジョアジーを形成し、反面農民大衆は旧制度下と同じような重大な危機を経験しつづけ、貧農のかなりがプロレタリヤ化するという。

こうした意見からは農民革命論が出てくる余地がないように見える。その同一人物がのちに農民革命論を大きく評価するようになるのはふしぎなことである。


マチエ 『フランス大革命』ねづまさし・市原豊太訳

原書はソブールのものよりも先に書かれたが、日本には、後まわしの形で紹介された。通史にしては尨大な内容をもち、登場人物も多彩であり、しかも政治家たけでなく、ブルジョア、小市民、貴族の中からふんだんにひき出されてくる。訳書には人物について注が施されているから、この多数の人物とその注を記憶すれば、相当の知識になる。ただし、事件の描写はテルミドールの反革命までである。

マチエの理論的解釈についても、私はすでに疑問を出してきた。それは別として、彼の長所は、ダントン派やエべール派と銀行家、御用商人その他ブルジョアとの結合を実証し、とくに、久しく革命の英雄として評価されてきたダントンについて、その裏面をえぐり、腐敗議員の列に分類したことである。これは正しい。

その反面、ロベスピエールの思想行動を高く評価し、テルミドールの反革命へいたる経過は公平に描かれている。もっとも科学的な通史である。ただし、ルフェーブルにいわせると、マチエの革命史には農民が自律性をもって登場してこない。それは、たしかに欠けたところである。だから、これを読みとおしても、土地問題はどうなったか整理することができないだろう。工業や商業についてもそうである。全体がこまぎれで叙述されているから、もう一度自分なりにつないでいかなければならない。

また、テルミドールで終っているから、その後恐怖政治が廃止されていく過程が明らかにされないまま、ロベスピエールの死に余韻を残して終っている。


ルッチスキー 『革命前夜のフランス農民』遠藤輝明訳

ロシア革命前のロシア人学者によるフランス農民史の研究である。直接なまの史料から領地の実態、土地所有の分布状態を導き出している。革命前夜において、農民の土地が約半分以上を占める地域が多かったことを主張している。また、農民の土地の増加が少しずつ行われたので、これがフランスと他のヨーロッパ諸国とを区別するものだという。このように、農民の土地を強調することは、ルッチスキーとフランスの実証主義的学者との意見の分れ目になっている。

ルッチスキーは、この土地所有農民が、領主権の重圧に反抗して、フランス革命のときの農民運動に発展するといい、農民運動が直接絶対王政に対して向けられたといえるものではないといういい方をしている。ただし自分の意見としてではなく、慎重に他人の意見を引用して結論にかえている。

これとは別に、彼はフランスの領地の構造を正確に紹介している。領主の直領地があること、別な貴族が領主権に服していることを指摘している。これは重要な指摘である。


ルフェーブル 『フランス革命と農民』柴田三千雄訳

ルフェーブルの二つの論文がおさめられている。はじめの「フランス革命と農民」では、三部会の召集までを貴族革命といいながら、これは流産したという。

また、ジョレス、マチエの分析では、農民革命の自律性が評価されていないから、不完全だという。しかもその農民革命が反資本主義的な傾向を帯びていたということを強調する。そこから、フランス革命が農民の大多数の層を満足させるものではなかったという。これは正しい指摘である。

領主権の無償廃止は小作農の利益にならず、国有財産の売却も「貧民」や「貧農」を土地所有者にしなかったことを強調する。このあたり、事実に忠実な分析である。彼は、ブルジョアジーと農民の同盟という図式を固定的に考えることに反対し、とくに貧民の行動がフランス革命の政策と敵対関係にあることを指摘する。農民問題についての、すぐれた論文であるが、これを素直に解釈すると、土地革命論の否定に通じる。

もう一つの「ロベスピエールの政治思想について」では、ロベスピエールの社会的理想が小生産者の社会であり、社会的民主主義であったことを論証している。


ルフェーブル『一七八九年-フランス革命序論』高橋幸八郎・遅塚忠躬・柴田三千雄共訳

『フランス革命ー八九年-』鈴木泰平訳

フランス革命を複合的な革命として、貴族の革命、ブルジョアジーの革命、民衆の革命、農民の革命に分類し、三部会召集からヴェルサイユ行進までを描いている。史実の紹介は実証的であるが、解釈が独特である。高等法院が王権に抵抗したことを貴族の革命といい、この時の対抗関係を貴族対王権に整理している。そうすると、王権は貴族の権力ではなかったということになり、宙に浮いてしまう。農民の革命という形で、八月四日の封建権利廃止の宣言を出させる原動力になった農民反乱を、自律的な農民運動として扱ったことは、フランス革命史の進歩をあらわすものであった。

ただ、ルフェーブルは反乱や反抗を革命と名付けるのである。一七八九年八月の時点ではブルジョアジーが社会を支配したことを認めているのであるから、民衆や農民は革命に成功したのではなかった。そのところの区別がつけられていないから、革命と革命運動の混同がおこなわれているといわなければならない。

高橋、柴田、遅塚訳では貴族の革命といわずに、アリストクラートの革命と訳し、アリストクラートの語を貴族および高位聖職者を含むものとしている。このような説明つきで読むならば、高級僧侶と貴族が王に反抗して三部会召集を強要したかのように見える。しかし、最高級の貴族と僧侶は三部会召集そのものにも反対していたのである。アリストクラートが分裂したことが重要であるのに、これをひとまとめにして反抗、革命の側に立ったというところに、ルフェーブルの解釈の見当ちがいなところが出てくる。

巻末にソブールの論文「現代世界史におけるフランス革命」をのせている。ソブールも同じく王権とアリストクラート層の対立から説明をはじめている。王権そのものも、アリストクラート層の上層であることを、なぜ認めようとしないのであろうか。

ソブールの論文は、土地問題を中核にして、フランス革命と明治維新の対比を行っている。ところが、その対比の仕方が、日本で積み重ねられた誤解を逆輸入した方法で、極端化している。領主制の廃止が、フランスの無償に、日本の有償が対比するという。そこで、日本の土地所有農民(本百姓)は、旧年貢と変らない重さの地租を負担しつづけたという。しかし、これは間違いである。地租改正の時点はそうだが、明治一〇年から一四年にかけては、ぐんと減って、軽くなった。長期的に見ると、減少したのであるから、固定的に見すぎている。

つぎに、地主小作関係が残り、これが半封建的土地所有であるといい、これが農民を従属させたから、明治維新が絶対王政を形成したとして、これが戦後の農地改革まで続くという。高橋幸八郎氏の理論を、そのままひき写したようなものである。それでは、もう一度、フランス革命で地主・小作制度が消減したかと問い直さなければならない。ソブールは、そうしたことについては、何もふれず、ただ、国有財産の売却で農民が土地を獲得したという。しかし、国有財産売却を、ただ農民だけに限定して評価することが一面的であることは、すでに見たとおりである。

別なところで、この農民を富農だといっている。これが所有地を増大させたという。これは正しい。この富農はすなわち地主であり、そのもとで小作農や日雇農が働いたのである。地主・小作制の残存を暗に含んだ表現である。それならば、日本と大して異なるところはない。

ソブールは、純粋にフランスのことをいうときには、このようにいいながら、日本との対比の場所では、突然、その「農民」の適用範囲を変化させ、中農か貧農にあてはめる。そして、日本には、フランスで見られた中農がないと極論する。

彼は、フランスのことをいうときは、中農や標準的な農民のことばかりをいい、ブルジョア地主や貴族大土地所有者の残存については知らん顔をしている。知らぬわけはないのだが、理論を説くときには都合が悪いから切り捨ててしまうのである。そこに、彼の理論と事実の分裂がある。


リューデ 『フランス革命と群衆』前川貞次郎・野口名隆・服部春彦訳

フランス革命の過程に起こった暴動、内戦、武装蜂起について、下からの役割を中心にして、体系的に描いたという点で、独特の価値をもっている。ほとんどの革命史が、まず上部での政争を描き、その結果、群衆がどこそこを襲撃したという表現をする。リューデはその群衆がどのような人間で構成されていたかを中心にして事件を描いている。

たとえば、バスチーユを攻撃した人びとは八〇〇人から九〇〇人の間で、そのうち、リストに残ったものが約六〇〇人であり、このうちの約五〇〇人は小商人、手工業者、賃金労働者であるという。このうち、賃金労働者の数は少なく、約一五〇人くらいであったというように紹介している。約一〇〇人近くが、製造業者、富裕な商店主、ブルジョアと呼ばれる人、軍人などであったことを指摘している。

このような方法で、主な事件を追跡していく。そして、細民、サンキュロットすなわち婦人、賃金労働者、手工業者、職人、小商人、または作業場の親方はふつうの男女からなっていたのであり、それが経済的危機、政治的大変動に反応して、独自の苦情を満足させようとする衝動から「革命的群衆」になったとしている。こうした群衆の独自性を評価しながら、他方でこれらの群衆が、さまざまな外部からの煽動、指導によって動かされたことを認める。その場合でも、最高指導者と下層民衆の参加者の間の連絡が維持されたのは、マイヤール、クレール・ラコンプのような二次的指導者を通じてであったという見解を示している。


ミニエ 『佛国革命史』河津祐之訳 四巻

文語調の読みにくい翻訳である。革命直前からナポレオンの没落までを、政治史、軍事史中心に描いている。訳語が現在とひじょうに違う。僧侶のことは教徒と訳し、宮廷貴族は朝臣、法服貴族は長形の人などという。革命の財政的原因についてもふれているが、断片的であり、首尾一貫した説明にはなっていない。そのかわり、反乱、内戦、殺人についての具体的描写は現代のものにくらべてくわしい。ジロンド派を高く評価し、「賤民」の圧力のためにジロンド派を逮捕した時から、フランスの議会は自由を失ったといっている。


箕作元八 『フランス大革命史』二巻 富山房 大正八、九年

この時代に、日本人の書いた革命史としては、もっとも進歩的で、内容の豊富なものである。貴族やジロンド派に同情する革命史から、人民の側に立つ史観へと著者自身が変化したという。とくにオーラールから大きな影響を受けたといっている。

そのため、ダントンを高く評価し、ロベスピエールを狭量といい、両者の対立を個人の気質のせいにして、社会的背景や経済政策の相違にまで考察を進めていない。

ジロンド派の没落、ロベスピエールの処刑についても、政治史的な説明が多く、政変の理由が個人の思想、性格から説明されている。ただし、国民公会の派閥を正しく分析し、平原派の役割を正確に、革命後まで追跡しているが、これは、戦後の革命史に欠けたところであり、それだけに評価できるものである。土地問題についての理解は低い水準であり、領地と土地の区別もつけられていない。


本田喜代治 『フランス革命』昭和二三年、昭和四八年新装版

革命前夜から、テルミドールまででとめている。それ以後の白色テロは革命に入ってこないという。反動の勝利に終るが、旧制度は復活しなかったという。七月王政でブルジョアジーの権力が確立し、その下でプロレタリアートが成育し、二月革命で対立するという見方である。

事実関係はかなりくわしいが、七月一四日から封建的権利廃止の農民の行動を評価し、完全廃止をジロンド派没落の時点(一七九三年)とし、ブルジョアジーと民衆の対立の図式にもってくる。しかし、他方でこの撤廃は八月十日(一七九二年)に行われたと叙述する。事実と総論の背離である。著者は、明治維新がほんとうの革命でなく、上からの改革であったとする立場から、フランスの大恐怖と封建権利廃止の運動を、人民の力による廃止であると評価する立場で説明する。

恐怖政治の段階では、政治史的叙述の傾向が強まり、それだけに何のためにジャコバンが分裂し闘ったか分らなくなり、「過激」「穏健」の分類で、ロベスピエールがその間にあり、人民からはなれたところでテロの歯車をまわしてやたらと処刑していったという。古い史観と、新しい人民史観が混合して正確に結びついていないから、因果関係が理解されないはずである。

土地を得た農民が反動化し、何一つ得るところがなかった下層労働者とのあいだに一種の対立が生じ、革命の前進をくいとめようとしたブルジョアジーのために、農民を基盤としたナポレオンが民衆から革命の果実を横どりしたという。この時期の日本の公式的見解である。

新装版は著者が二〇年前に出版した革命史の改版である。知識の点ではもう必要ないといえるかもしれないが、日本社会の民主的変革との対比に焦点をあわせての実践的アプローチからすると、まだ不要になっていないという立場で改版した。革命にともなう反革命の動きに注目し、日本民主化を阻もうとする力があり、事態が深刻だという評価から、フランス革命を見直すという立場である。


高橋幸八郎 『近代社会成立史論』

フランス革命の経済的内容の分析が約半分を占めている。とくに封建的土地所有の廃棄、小農土地所有の成立を軸にして考察し、アンシャン・レジーム末期の農村には、「農民民主的な型と寡頭専制的に地主=商人的な型」との「二つの対向的な」近代的進化の方向があり、フランス革命でこれが「古典的に決済」をつけるという。

八月四日の宣言、封建権利の有償廃棄は後者の方向であり、これを「封建制度の部分的改造」と理解する。そして、この線が、フイヤン党、ジロンド党の支柱としての「上層市民」によって維持されるが、これを九三年の「社会革命」すなわち「ジャコバンの小市民的独裁」が「圧伏」して、「封建寡頭的な全機構を清掃し去る」ことにより、近代社会創造の課題を果したとする。

ここでは、バスチーユ、八月四日の宣言、八月十日(ジンド派政権)はすべて封建制の改造ととらえられている。これをジャコバンが圧伏して社会革命になったというが、これでは、王権、フイヤン派、ジロンド派の間にある相違が無視されて、ひとまとめにして反革命の方向に押しやられている。それでは、何のために、これら三つの勢力が、それぞれの時期に死闘を演じたのか説明できない。また、領主権の無償廃止がジロンド派政権で行われたことが無視され、ジロンド派も領主権の維持に熱心であったかのように受取られる。これでは誤解をつくる。

また、この二つの対抗関係が工業にも結びつくという。農村マニュファクチュアと巨大特権マニュファクチュアの対抗関係である。前者は「独立農民層=小市民層」の自主的成長、後者は「封建貴族、独占商人、金融貴族の産業支配」で上から育成されたとして、前者が後者を革命の過程で圧伏していくという図式を提起する。

その実例に炭鉱の「アンザン会社」、鉄鋼の「クルウゾ会社」をあげ、これがフランス革命の過程で圧伏されていったという。これが大塚史学の公式のはじまりであった。当時日本のだれもが実例をよく知らなかった。そこで多くの人が、これを引用し、フランス革命で大工業が減んだといい、これが一つの真理になってしまった。

しかし、事実は反対であることは、すでにのべたとおりである。そうしたことはあるにしても、終戦直後の状態では、最大限に、経済的内容をともない、農民問題を軸にしてフランス革命を考えた進歩的著書であり、高橋理論はフランス革命の研究を志ざすものは一度は通るべき道になったのである。


高橋幸八郎 『市民革命の構造』昭和二五年版と増補版

市民革命の一般論であるが、フランス革命の研究史の整理から入り、プルジョア革命として、土地問題、農民解放を中心課題であるとしている。ここでは、領地所有と土地所有のあり方は、事実にそってのべられている。領主権の廃止もジロンド派政権の時点といわれている。ただし、それでいながら、九三年の無償廃止も加え、後者に力点を置いている。この効果としては、農民を領主制土地所有から解放し、分割地農民に転化したことを強調し、商人地主や農民地主の解放についてはあまりふれない。

また、国有財産の売却も、土地所有分布に大きな変化をもたらし、農民にも「多かれ少なかれ、新たに土地を賦与」したという形で紹介する。ただし、小農土地所有は国有財産の売却によって生じたのではなく、あくまで、革命前に農民的土地所有が存在していて、これが領主権の無償廃止で分割地農民になったとして、後者の効果を第一におく。これをフランス革命の成果として強調するが、事実を紹介するところでは、革命以後も、土地のない農民、土地不足農民が多数いることを書いている。他方で革命後の農村ブルジョアの存在をいいながら、大土地所有(権)は革命によって破壊されたともいう。事実を描くときは公平だが理論を説くときは農民革命論一色になるという特徴をもっている。

増補版では「封建制から資本主義への移行」がつけ加えられている。ここでも、西ヨーロッパでは「生産者→商人」の道をすすみ、プロシア、日本では「商人→産業家」の第二の道を進むという理論が確認されている。ただし『市民革命の構造』では『近代社会成立史論』にあるような、アンザン会社、クルウゾ会社の実例は引用されなくなっている。


豊田堯 『フランス革命』

アテネ文庫の本である。ジロンド党と山岳党の中間に、第三党の平原党のあったことを忘れてはならないと指摘し、平原党が大体において地方出身のブルジョア議員であり、自由主義経済を支持し、心底では人民の暴力行為と流血沙汰に不信の情をいだいていたという。

その点でジロンド党と共通しながら、他方で、いかなる犠牲を払っても革命を守らなければならないと考えたから、山岳党に合流したという。

こうした勢力を無視して、ジロンド党と山岳党との対立だけで考えることに批判的であり、むしろ、平原党の向背がジロンド党の追放、山岳党の排除を決めたという見方を提起している。


河野健二 『フランス革命小史』

フランス絶対主義の説明は、カウツキーの均衡論によって説明している。革命の出発点は、ルフェーブルの貴族革命論で説明し、ブリエンヌが貴族の反抗の前に屈服したと書いている。しかし、そのブリエンスも貴族であることにはふれていないから、王権の側に立つブリエンヌの性格があいまいになってしまう。

バスチーユ占領のあと、すぐに農村の革命にふれ、農民が封建制度の根源である領主権に反抗したとして、この闘いこそがブルジョア革命の成否を決めるという。領主権を封建制と同一視する理論からくる見方である。

そこで、八月十日を第二次革命といい、封建制の完全な一掃が行われたという。

ロベスピエール派の没落について、その社会政策を評価しながら、これが巨大な錯覚であったという。


前川貞次郎 『フランス革命史研究』

フランス革命の歴史というよりは、むしろフランス革命史家の歴史である。いうなれば、フランス革命史学史である。王政復古の時期を「歴史の洪水」といって、フランス革命史学の上で、最初の、しかももっとも実りの多い時期とみなされているという。以後七月王政、第二帝制、第三共和制の時期にわけて、それぞれの革命史学について紹介、論評している。

その中で、オーラールからフランス革命に関する客観的科学的な研究がはじまったとする一般的評価について、これを認めながら、そのことがオーラール個人の才能によるだけではなく、ちょうどフランス革命の百年記念を迎え、しかも第三共和制の確立といった条件の上に、研究、出版が活発になったという時代的背景によるものであるとしている。

また、オーラールの研究をさらに発展させ、独創的な見解を提出したのはマチエであるとし、ダントンの評価をめぐって両者が対立していく過程を紹介している。オーラールをはじめ当時の革命史学がダントンを革命の英雄として高く評価していた。当然、ダントンを粛清したロベスピエールは野心家、独裁者ときめつけられていた。

しかし、マチエは、ダントンの裏面に気がつき、これをえぐった。御用商人との結びつき、腐敗議員との交際などである。

ただ、マチエのロベスピエール解釈が不偏不党なものであるかについては、やや疑問であるとし、ルフェーブルが指摘するように農民問題がほとんどとりあげられていないといいながら、今日のフランス革命史研究の出発点は、マチエにあり、マチエをどのようにのりこえていくかが、最大の課題であるといっている。


桑原武夫編 『フランス革命の研究』

京大人文研の共同研究の成果である。参加者の文集である。序論「フランス革命の構造」は河野健二、「上山春平、樋口謹一の諸氏によるもので、フランス革命が「史上その類例をみないほど徹底的に封建制を打破し」「封建国家を近代国家に転化」させたという観点でまとめている。

以下、桑原武夫「ナショナリスムの展開」、樋口謹一「権力機構」、河野健二「土地改革」、河野健二「経済思想」、上山春平「哲学思想」、森口美都男「キリスト教と国家」、山田稔「革命と芸術」、吉田静一「産業保護主義」、前川貞次郎「ジロンド派とモンターニュ派の対立」、牧康夫「ダントンとロベスピエールのパースナリテイ」、井上清「日本人のフランス革命観」の論文よりなり、巻末に人物略伝、年表がくわしく掲載されている。


大塚久雄・高橋幸八郎・松田智雄編著 『西洋経済史講座』五巻 岩波書店

昭和三五年にもフランス革命関係の論文が多数ある。中木康夫「マニュファクチャーの成長と市場深化」、誉田保之「問屋制度とマニュファクチャーの絡みあい-とくにフランス絶対王制におけるリヨンのばあい-」、遠藤輝明「資本主義の発達に伴う土地制度の変容」、吉田静一「フランス重商主義-コルベルティスム、重農主義との関連において-」、二宮宏之「領主制の『危機』と半封建的土地所有の形成」、中木康夫「問屋制度と特権マニュファクチャー」、遅塚忠躬「絶対王制の経済的基礎の動揺-土地問題-」、柴田三千雄「封建的土地所有の解体-フランスのばあい-」である。

このうち、中木康夫「問屋制度と特権マニュファクチャー」においては、絶対主義下の特権工業の実例を、アンザン会社、クルーゾ会社だけではなくて、もっと範囲を広げ、ヴァンデル、アンドレ火砲鋳造会社、リュエル造兵工場を実例としてあげ、これらが「中・小生産者たちの暴動によって破壊されて」しまい、モンタニヤール独裁制のもとで特権会社は根底から廃棄されたという。この図式を後進国の上からのなしくずしの資本制大工業への進化と対比する。大塚史学の基本的なテーマである。しかし、第五章第三節でみるように、これら大工業は、むしろ恐怖政治の頃革命政府の援助をうけ、武器増産に協力し、破壊されることがないのである。


河野健二 『フランス革命とその思想』

思想史から経済史までを含む論文集であるが、基本的な観点は、著者のブルジョワ革命についての結論である。それは、ブルジョワ革命が封建制の撤去をなしとげたものであり、それ以後の地主制は「近代的土地所有」の一形態であるという認識である。

この立場から、明治維新を資本主義的な革命であるといい、日本の地主制とフランス革命以後のブルジョア的地主制が類似しているという。

ただし、封建的土地所有の廃止のされ方がちがい、フランスの無償廃止にたいして、日本の賠償をともなう廃止が対置されるものとしている。このように対立させながら、フランス革命と明治維新の同一性を主張することには、多少無理がある。

この無理は、フランス革命の結果として、封建的土地所有の無償廃止をもってきたところである。そうではなくて、バスチーユ襲撃の直後、まだ領主権の有償廃止が行われた時点でも、すでにブルジョア革命が実現されたといえる。領主権の廃止は、七月一四日の反乱の主な目標ではなかったという私の指摘を読み返してほしい。


河野健二 『フランス革命と明治維新』

日本における明治維新論争をふまえたうえでの、フランス革命の分析であり、つねに、両者の比較が軸になっている。そして、両者をともにブルジョア革命としながら、ブルジョア革命が封建制の廃止を眼目とはするが、それは消極的な成果であるという。

その場合の封建制とは、もっぱら領主権のことであり、領主と農民のことに比較観察の範囲が限られていて、ブルジョアジーと領主の関係は重視されていない。

また、貴族革命説を採用し、王権と貴族の対立から三部会の召集を説明しているところは、ルフェーブルと同じである。その延長として、王権が議会を押しつぶそうとしたから、バスチーユ攻撃と農民蜂起が起こり、この危機を救ったとしているが、王権を宮廷貴族から離れたものとしたり、バスチーユ襲撃と農民反乱を同質のものとして理解するべきではないだろう。

井上すゞ『ジャコバン独裁の政治構造』

前半が、フランス革命史の著者なりの整理、後半が、ジャコバン独裁の政治構造である。恐怖政治を、はっきりジャコバン独裁といって、国民公会の中の平原派の役割を評価しない。カルノー、ランデをブルジョアジーの政治的・社会的優位を確保しようとする一派といい、ロベスピエール派をサンキュロットの側とする図式で解明しようとする。過激派の運動を民衆運動といい、もっとも熱意をもって革命を支持し、推進した勢力と評価し、エベール、ダントンが裏でブルジョアと結んでいたことは問題にしない。エベール派、ダントン派の粛清もロベスピエール派の仕事と規定し、以後を口ベスピエール独裁という。その独裁がブルジョアに反対され、民衆から孤立して減んだと解釈するが、それでは、ロベスピエール派の足場が何であったかが説明できない。


小林良彰『フランス革命経済史研究』

商業資本と産業資本について、具体的にフランス革命における動向をとりあげ、大工業が断絶せず、かえって恐怖政治の頃は育成されていることを示している。また、大商人、銀行家、大工業の実例を紹介し、革命をくぐりぬけて生きつづけている姿を示している。

土地間題では、貴族の大土地所有、ブルジョアの大土地所有、農民地主の大土地所有が残る必然性を説き、単純な農民革命論に疑問を出している。

絶対主義の構造については均衡論への批判からはじまり、王権の支柱は宮廷貴族であり、これがその時点での領主であると強調している。そこから、フランス革命の原因結果を財政問題としてとらえ、それを証明するための多くの実例を紹介している。


小林良彰『フランス革命の経済構造』

フランス革命の前提、展開、結論に沿ってすすむが、それぞれの部分での実証をくわしく入れている。とくに、宮廷貴族の実例と実態、法服貴族の状態、領地や土地の分布、革命後の貴族大土地所有の残存の実例が豊富である。

恐怖政治の解釈をくわしく扱い、ジロンド派追放の基本的問題は累進強制公債であるとして、そこから、恐怖政治=サンキュロット権力、あるいは小ブルジョア独裁の学説を批判している。

巻末にケース・デスコントとフランス銀行、インド会社とフランス革命の関係を扱い、大商人ボスカリの革命中の動向を紹介する論文がある。


岡田与好編『近代革命の研究』

昭和四八年にもフランス革命関係の論文の比重が多い。二宮宏之「『印紙税一揆』覚え書-アンシァン・レジーム下の農民反乱」、遅塚忠躬「フランス革命期における農民層の分解と農民諸階層の対抗関係」、遠藤輝明「フランス革命史研究の再検討」である。

遅塚氏の論文は一つの村をとりあげて、革命前の農民層の分解のあり方と社会諸階層の対抗関係との関連を追跡している。その結果、富裕なラブルウルすなわち富農または地主の利害が終局的に貫徹されたという。また、国有財産の売却について、亡命貴族の財産は旧所有者の親族によって買戻されたこと、僧侶財産は、最も重要な部分を都市の商人と都市ブルジョアに転形途上の農民が買い、つぎに富裕なラブルウル、土地の工業家が買ったという。これでは、国有財産の売却も、農民革命とはいえない。農村ブルジョアジー、富農(地主)の利益貫徹を分析した事実からいわざるをえない。

ところが結論の部分で突然表現をかえて、多数の住民が革命期に住民集会に参加し、その意志を直接に表明したことに意味があり、デモクラシーへの一道標としての「九三年の太陽」がこの村に輝いていたという。延々と土地問題の実証をしておいて、結論は政治的経験で終る。論旨の飛躍に首をかしげざるをえない。貧農が住民集会に参加し、発言しても、土地が手に入らなければ太陽にはならない。

なぜこのような結論になるかといえば、農民革命論へのこだわりがあるからだ。この実証からは、地主制の根強い残存が自然に結論として引き出せる。ところが、そう言いたくないし、言うと具合が悪いのである。そこで多数住民の政治的経験に話をすりかえる。逆にいうと、農民革命論を主張しようとしても政治的経験くらいしか言うことがなくなった現状を反映している。農民革命論の理論的破産を示す一例である。

遠藤輝明氏の「再検討」では、日本のフランス革命史の研究をあとづけながら、その主な変化として、市民社会から資本主義社会へ研究の視座が移行し、小ブルジョアジーの反資本主義的性格が確認され、農民革命をフランス革命展開の基動と位置づけてきたことが、一つの契機として位置づけられるようになり、ジャコバン独裁が本来の目標でなく、ブルジョア革命からの逸脱であったとされるようになったと整理する。

これらの変化を高橋説への修正意見として受けとめるべきだろうという。 

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